怠惰に過ごす




毎年6月から9月までは、学校はサマーバケーションで長い休みになる。

ただしその間では、サマークラスという特別授業というのもあって、この時期をめがけて世界中からそれを受けにくるらしく、サマーバケーション中でも引き続き、夏のクラスも受講する生徒はいるのようだ。

私はそんなものは受講する気は全くなく、このサマーバケーション中は24時間全ての時間を自分だけのために何の拘束もなく自由に使うことだけに精力を注いでいた。


私は毎日アパートで好きな音楽を聞きなが作品を制作したり、本を読んだり、たまに友達と食事に行ったり、映画に行ったり、ライブに行ったりと、自由気ままな生活を送っていた。

日々の基本は、作品制作をする、本を読む、ご飯を食べる、寝るということを誰に干渉されることなく、その時したいことを好き勝手にしていた。

まあ、人生でこんな時期は今だけだろうと思っていたので、ナニモノにも縛られず、自由に、そして怠惰に過ごそうと決めていた。

今の私にとって有意義に過ごすということは、徹底的に怠惰に過ごすことだった。


そんな感じで、ほとんどがアパートにこもって過ごすことが多かったのだが、唯一半ば強制的に外に出ていかなければならないことがあった。

それは、食料の調達だった。

冷蔵庫があまり大きくない上に、ルームメイトとシェアなので、沢山の食料品を買いだめすることができない。

なので食料が底をつきかけたら、日中は暑いので日が傾きかけたころに食料品の調達を兼ねて散歩に出かける。 


アパートのあるSoho地区一帯は、1800年中期から1800年後期までに建造されたキャストアイアン建築のビルが立ち並び、道路は石畳のまま残され、特にこの地域は個性的でニューヨークの歴史を感じる場所だ。

夕暮れ時は、壁や窓ガラスが淡いピンクやオレンジ色に染まり、建物のコントラストが際立ち、一段と美しい姿となる。


数年前の自分なら、このシュチエーションはこれこそ憧れの夢の情景だった。

ところが今はそれが日常なのだ。

それというのも、実は5年ほど前に一度、ニューヨークに来たことがあった。

それが私にとって初めてのニューヨークだったが、その時にここsohoに訪れた時、心の底からここに住めたらどんなに幸せだろうとかと思った場所なのだった。

でも当時は、自分がここに住めるなど全く想像できなかった訳で、そんな当時のことを思い出すと、まるで未来の自分が過去の自分を見ているような錯覚を覚える。


人生とは不思議なもので、人はいろんなタネを持っている。

そのタネを蒔いたところで、芽が出るはずもないと思って蒔かないのか、それともダメ元で蒔いてみるのか。

実はそんな些細なことから運命は動き出す。

住める可能性などないと思つつ、それでももしいつかチャンスが訪れた時のためにと、私はなぜかお金だけは貯めていた。

結果的にいざ夢が現実味をおびた時に、いくらかまとまったお金が手元にあったことは大きい。

私は今でもタネを蒔いている。

一生懸命に世話をしてもそのタネが芽吹かないことだって当然あるし、放ったらかしでも芽が出てくることもある。

どちらにせよ、あまり深く考えずに蒔き続けている。

やりたいことはやって、結果はどうあれ、あとは天にお任せでいい。

ただ、未来はどうなるかわからないし、何においても人生に無駄ということはないのだろう。


少し話が横道にずれてしまったが、話を戻すとこの散歩は途中にレコード屋、本屋などに寄り道しながら、最後にスーパーマーケットに寄って食料品を買って帰るというのんびりとした散歩だ。

帰る頃にはすっかり日も暮れて夜風が心地よく、体と脳がいい具合にリセットできる。


それにしても、怠惰と言いながらも週末の土日だけは必ずストリートに出て、しっかり外の世界との接点はあることだし、なによりもお金を稼いでいた。