
話が前後するが、私は当初の予定どおり一ヵ月で、あのサブレットとして借りていたフォレストヒルズの部屋を出た。そしてマンハッタンのSoho地区にあるアパートに引っ越したのだった。
Sohoといえば、マンハッタンの下の方(南)で、いわゆるダウンタウンと言われるところだ。昔は倉庫街で治安が悪かったらしいが、その後アーティストが住み出して、それからギャラリーができ、瞬く間に最新カルチャー、トレンドの発信地のようになったところになった。
その後、Sohoは家賃が高騰して、アーティストやギャラリーは他へ移り、代わってブティックやブランドショップ、高級レストランが立ち並ぶエリアになってった。
NYはアーティストが住みだすと、その地域の不動産価値が上がるのだ。
そのアパートは、偶然ある新聞のルームメート募集欄に載っていた。私はすぐにそこに書いてある番号に電話をかけたのが始まりだった。
NYは貸し手市場なので、家賃はどんどん上がるは、借り手は多いはで、それまで何件も断られたり、条件が良くなかったりと、私の部屋探しは難航を極めていた。
とにかくNY生活の成功の鍵は、住む場所次第だと思っていたぐらいだったので、私は相当気合いを入れて探していた。
猶予は1ヶ月、午前中は語学学校に行き、午後から物件探しという日々。部屋探しの基本は、ルームメイト募集のところを探していた。
一人で借りるにはあまりにも家賃が高すぎて支払いがきついからだ。
それで募集先に電話でアポイントをとって見に行くが、実際に行くと良くなかったり、それほど満足という物件でもないにもかかわらず、別の人に決まったりとかで、就職の面接で落とされ続けているような心境と似ていて、それは結構精神的ダメージが蓄積されるのである。
理想から少しづつ歯車がズレてきて、時間の経過と共にどんどん大きくなっていくのを感じていた。
自分の思い描いていたNY生活が遠のく現実に、不安と焦りを感じていた時に、新聞に載っていたその小さなルームメイト募集の記事を見つけたのだった。
私はとにかく、ぜったいにここに住むんだと気合いを入れて、ルームメート募集主に会いに行った。
ルームメート募集主は日本人の女性だった。
彼女はNYの大学を卒業して、そのままNYのある企業に就職して働いていた。
私は彼女を目の前にして、いかにここが自分にとって素晴らしい場所であることを力説し、NYに来た自分の思いを熱く語り、とにかくこの場で即決めてほしいと強く彼女に訴えた。
自分自身のことを誰かに向けて、これほど本気でプレゼンしたのは初めてだったと思う。
そして、結果はOKだった。
実は、ルームメートは別の方にほぼ決まっていたらしいが、その人のビザが微妙な感じだったので、どうしようかと迷っていたところに私が尋ねてきたということだった。
そして、彼女のルームメイト選びの決め手は、ビザがしっかりしているのと、いかにここが好きかっていうことだったらしい。
結局、いろいろ物件を見て廻り、最後に縁のあった物件が一番自分が気に入ったところだった。
NYに来てからダダ下がりの運気が、ここで一気に潮目が変わったのを肌で感じた。
もう私のNY生活は絶対に成功すると確信した瞬間だった。
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