Leonid Lerman(レオニード・ラーマン)、The Art Students League of New Yorkで4年間お世話になった先生だ。
まさに彼との出会いは、私のニューヨーク生活に多大な実りを与えてくれた一人だと思う。
NYのMckee Galleryの作家でもある彼は、厳しい本当のARTの世界をリアルに見せてくれたプロのアーティストの一人だった。
彼はロシア生まれで、ロシアで一番優秀だと言われるモスクワ芸術大学を卒業し、1980年にアメリカへ移住してきた。
始めて彼を見た時の印象は、どことなく修行僧のような近寄り難いオーラを感じた。
さらに彼の使う英語がストレートすぎるので、キツイ印象が際立った。
おまけに大の議論好きだったので、クラスではエキサイトな議論が頻繁に交されてた。
彼と知り合って間もない頃、私は「先生の好きなアーティストは誰ですか?」と尋ねたことがあった。
彼は少し間を置き、「好きなアーティストはいない。好きな作品は沢山ある。」と答えた。
例えば、ジャコメッティのバルザック像とか、ドガのスケッチのような小さな人体彫刻とか、どんな作家でもいい作品とそうでもない作品があるもので、彼は好きなアーティストという見方はしないらしい。
そして作品の見方というのは、好き嫌いで観てはいけない。
どんな作品でも、その作家が何を表現しようとしているのかを感じ取ることが重要だと彼は教えてくれた。
また、彼はいつも熱心に生徒一人一人に声を掛け、とこ細かくその生徒の作品についてコメントしてくれる。
私の作品に対しても同様に彼流のストレートな言い方で手厳しく批評してくれるのだった。
「彫刻は固まりなんだ!表面的なことはどうでもいい。お前の作っているのは、これは彫刻ではない。お店で売ってる土産物の置物みたいだ」なんてことをビシビシ言われる始末だ。
そのくせ、私の手先が器用なのは見抜いていて、フィギュアを作っている先生の友人に「お前のことを話しといたから、そこでアルバイトしてみないか?」なんてことを言ってくる。
そんな感じで彼はいつでもピンっとアンテナを張って、新しい感性に出会えることを本当に楽しみにしていた。
英語がヘタクソな私は、彼に作品についての考えや想いなど、伝えたい内容の半分もうまく伝えることができなかったと思う。
今思うと彼とのコミュニケーションはかなり空回りしていたように思うが、そんな私に対しても彼は熱く、根気強く指導してくれていた。
しかしいつも最後に一言、「これはあくまでも私の考えで、もし君が違う考えがあるのであればそれはそれでいい。どちらを選ぶかは君の自由だ。」とつけくわえるのだった。
厳しいけれど、けっして自分の考えを押し付けるとこはしなかった。
先生・生徒という関係であっても、私を一人のアーティストとして常に接し、私の感性を尊重してくれていたのだと思う。
そして、ことあるごとに「シゲル、快適に学校生活を送れているか?」といつも私のことを気にかけてくれていた。
そんな彼が、ある日ぽつりとこぼした言葉が印象に残っている。
「アーティストというのは、その作家自身に何か、問題意識や奥に秘めた強い何かがなければ、いくら技術や知識があっても、そんなものはなんの役にもたたない。」と独り言のように呟いたのだった。
彼ほど知識や技術を貪欲に吸収してきた人間が、そういったものになんの期待もしていなかったということに私は驚き、彼の意外な一面を見た気がした。
それだけ彼の戦いの舞台は、私のいるところよりも遥か上の化け物級のステージで悪戦苦闘しているのだと思った。
高い理想と現実との狭間で苦悩している彼の背中をみて、アーティストとしての宿命を思わずにはいられないのだった。
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