
彼女との出会いは、私がNYへ行って間もない頃だった。
私たちは同じ語学学校に通う、クラスメートだった。
そして私たちの共通するは、英語レベルは相当駄目だったということで、二人とも普段の生活では色々と苦労が絶えなかった。
実は出会った当時はあまり親しくなかった。
お互いになぜNYに来たのか、あまりプライベートなことはよく知らなかった。
時々休憩時間に「こっちのアイスクリームって、美味しいよね~」とか、「今日はおにぎり作って持ってきた」みたいなたわいのない話をするぐらの間柄だった。
私はそれから半年ぐらいで美術学校へ転向してしまったから、彼女と会うこともなくなったのだが、それから1年ぐらいして、突然彼女から電話があったのが、再開の始まりだった。
その頃には、最初の出会いからすれば、お互いに生活も変化していた。
私は美術学校に行き、週末はストリートに出て絵を売っていたし、彼女はレストランでピアノを弾く仕事に就いていたりと、二人ともNY生活をそれなりに満喫しつつも、自分のスキルをフルに使ってなんとか生活をしていたのだった。
そんな彼女だが、本当はピアノよりもゴスペルを歌いたかったらしい。
日本にいる時からピアノ演奏で稼いでいた彼女は、もうピアノは興味の対象ではなかった。
彼女はNYに来たてのころ、持ち前の明るさと、ものおじしない性格もあって、ハーレムの教会に行き、ゴスペルの聖歌隊に入れて欲しいと教会の責任者に直談判したことがある。
それならばと、日曜日の朝の礼拝と午後からのサンデークラスという神様についての授業に5回出席すれば、入れてあげると言われたらしい。
そんな簡単なことなら全然できると思い、彼女は毎週日曜にハーレムの教会へと足繁く通ったのだった。
英語がよくわからなかった彼女は、ミサの時はほぼ寝ていたという。
そして5回目の礼拝の時、いくつかの部屋に案内されて、そこで服を着替えたりと色々支度をして、最後に案内された部屋に行くと、部屋の壁が突然ガァ~と開き、目の前には1階から2階までびっしりと数百人の礼拝者が目の前にいた。
そして神父が彼女に向けて誓いの言葉を唱え、彼女の返事を待った。
ここまでは滞りなくことが進んだのだが、ここからが予想だにしない展開になった。
英語がよくわかっていない彼女がしばらくポカンとしていると神父がしびれを切らして、「はい、と言え」と小声で囁いた。
彼女は促されるまま「はい」と答えると、そのまま神父に鼻を摘まれ、間髪入れずに目の前のプールにザブンと落とされたらしい。
結局このセレモニー的なものは、洗礼の儀式だったということが後でわかったらしい。
これは侵礼(全身を水に浸す)という洗礼執行の方式で、教会によって様々な方式があるらしい。
冗談のようだが、どうやら彼女はよく事情を知らないまま、キリスト教の洗礼を受けてしまったのだ。
そんなこととはつゆ知らず、聖歌隊にも入れず、彼女は全身ずぶ濡れになり、なんでこんな目に合わなければならないのか、とにかく情けなくて泣きながらハーレムの街を歩いて家路に帰ったということだった。
そして帰る道すがら、「おめでとう!」と笑顔で街の人たちに声をかけられながら。
教会の責任者からは聖歌隊をエサにのらりくらりと礼拝に来さされていたということらしいが、彼女がもっと英語ができれば、そういった勘違いもなかったのだろうとは思う。
彼女に限らず、当然だが英語ができないことで、無用な手間や失敗も恥もかくわけだ。
私もNYに来たての頃、電話を契約するのに通常なら電話で手続きはできるのだが、電話で手続きすること自体が結構ハードルが高くて、わざわざオフィスまで出向いて、局の人と対面して手続きをしたことがあった。
確か、オフィスの場所もハーレムにある古びたビルで、私の住んでいる所からするとちょっと遠い場所だった。
手続きのためカウンターに行くと、大柄で肥満体の黒人のおじさんが担当だった。
最初は親切に色々と説明してくれたいたのだが、あまりにも自分の英語ができなさすぎて、とうとうおじさんのキレる沸点に達したらしく、最後は「とにかく、いついつに職員がお前の家に行って電話を取り付けるから、おとなしく家で待ってろや~!」とオフィス中に響き渡るぐらいの大声で怒鳴られてしまった。
電話の手続きをするだけで、これほど怒られるとは想像していなかったが、こんな具合に何をするにも異常に手間がかかるのだ。
話が少々横道に逸れてしまったが、その後ゴスペルの聖歌隊に入ることはできなかったものの、彼女の一番得意とするピアノで、あるレストランのピアノ演奏者として職を得ることになる。
しかし、その職もしばらくして突然解雇になった。
急に解雇されることはこちらではよくあることだが、収入源が途絶えた彼女は、病気の猫を抱えて住むところを無くし、私が日本に帰る頃、彼女は友人の家に居候していた。
そしてその友人というよりは、同居の友人家族にかなり問題があり、彼女の所持品は無くなるわ、家に警察が来るわで、彼女が一人で安心できる居場所はなかった。
彼女曰く、あの時が人生で一番最悪だったと。
それでも、彼女は踏ん張った。
その数年後、なんと彼女は教会のゴスペル聖楽隊の専属ピアノ奏者の職を得たのだった。
しかもアーティストビザも取得して、やっと平和で穏やかな自分と猫の居場所を見つけたのだった。
彼女は嫌だったピアノに救われた。
そして、私も筆を置くつもりの絵に救われた。
なんの因果か、二人とも神様が「まだ辞めるな」と言ってくれているとしか、思えてならない。
青春漂流の項で取り上げた2名、いや私も含めてだが、まだまだ人生の旅の途中であって、今の時点でどうこう言うのはまだ早すぎる。
今回のブログに書いたことも彼らの人生のほんの一コマに過ぎないが、今も当時と変わらず、つまずいたり転んだりしながらも情熱を持って旅を続けている。
少なくとも、自分の人生を大胆に選択してきたことだけは確かで、それについて後悔はないとだけは言えるのではないか。
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