ストリートを始めてから3年が経った頃、気がつくと制作した作品枚数は1000枚は超えていていた。
この枚数は私の中では驚きの数だった。
たとえ少しずつでも日々の積み重ねは、いつしかものすごいエネルギーとなりうるのだと思った。
ほぼ1日も休まずに描き続けた結果だ。
これはアスリートが毎日地味にトレーニングするのと似たものがあって、少しでも休んでしまうと、頭も手もスムーズに動かない。
感覚がズレてくるのだ。
このストリートは世界中の人が訪れる場所である。
そんな人々の中から偶然にも私の絵と出会い、気に入って絵を買ってくれた人は、アメリカはもとより、ヨーロッパ、オセアニア、南米、アフリカ、アジアなど、私が訪れたことのない国々の人も沢山いる。
そして、本当に私の絵を好きになってくれた人は、はるばる遠くから何度も作品を買いに来てくた。
あるスペインからのお客さんなどは、NYに来るたびにストリートに寄ってくれて、その都度作品を買ってくれていたが、最後の方は直接自宅まで来るようになった。
そのように、私の分身でもある作品が地球上の色んな場所にあるというのは不思議な感じがする。
昔、世界地図を広げて自分が訪れたことのある場所に印を付けたことがあった。
その時、世界地図を見て自分はこんな狭いところをウロウロしているのかと、あらためて自分の世界がいかに小さいかを思い知った。
今、世界地図を広げて自分の作品がある場所に印を付けたら、果たしてどんなことになっているのだろうか。
でもそれは、例えば何かの部品を工場で作っている人も同じことが言えるのではないかと思う。
自分たちが日々淡々と作っている物が、自分たちが知らない国で、知らない人が使っていたりする現実を考えたりするのだろうか。
馬鹿げたことかもしれないが、そんなことを私は時々考えたりする。
アメリカでは物が売買された時に「Thank you!」と、買った側も、売る側も言う。
私はストリートでその「Thank you!」という言葉を何百回と言い、また言われた。
日本には”言霊”という思想があるが、ストリートでこの感謝の言葉に沢山触れられたことはたいへん幸せなことだ。
以前、レオニード先生から「シゲル、ストリートで作品を売ることに対して矛盾を感じてないかい?」と聞かれたことがあった。
その質問の真意は何なのか、正確にはわからないが、多分作品を売ることを前提に作品を作ることに疑問を感じて悩んでいないか、ということだと解釈した。
私は、「ありません。」ときっぱり答えた。
私の答えを聞いた彼は、「それは、とても幸せなことだ。」と言った。
なんとも微妙な会話ではあるが、“私は一生絵を描き続けるんだ”と、もう私の中ではその覚悟ができていた。
では、一生絵を描き続けるにはどうしたらいいのか?
体力的なこととか、描きたい意欲があり続けるかとか、表現が枯渇しないかとか、色々考えられるが、無視できない現実として、絵が売れ続けなければならないということだ。
アーティストは自分の作品が売買されることについて戸惑いをもったことがあると私は思う。
なぜなら、何かを作りたくて、表現したくて、ただ生み出すことのみを考え、作品を作るのがアーティストだ。
しかし、人生を賭けて作品を作り続けるとなると、作品でお金を生むことができなければ、余程の資産がない限り、いつかは続けられなくなる。
たとえアーティストであっても、その現実にちゃんと向き合わなければ、作品を作り続けることは無理なのだ。
昔、日本人画家の大先生が「絵のためなら親戚知人に借金してでも描き続けなければならない」と、それぐらいの根性出せと若い作家たちに向けてげきを飛ばしていたのを思い出した。
これが良いか悪いかは別として、現実を直視するなら、それも一理あると思った。
お金もコネも経歴もない自分にとって、今ここNYでできることはストリートで作品を発表するぐらいしかなかった。
私にとって、毎週のストリートは挑戦の場であり、勉強の場でもあった。
だから毎日描き続けるモチベーションも持てたし、全力で作品作りに向きあえた。
ストリートに出しているアーティストの中には、ギャラリー用とストリート用に作品を使い分けてる人間もいたが、私にはそんなことはできなかったし、やりたいとも思わなかった。
そういうのは、全然ワクワク感もなく、私にはつまんないことなのだ。
どんな所で作品を発表しようが、作品は全て私の作品に変わりない訳で、常に全力で描いた作品しか、決して表に出ることはなかった。
ブランディングやマーケティングを踏まえての、こういう考えに至ったのではなく、ただ自分の気持ちが許さなかっただけなのだ。
私はこの姿勢をストリートでも貫いたことで、その後に大きな出会いがあった。
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