ニューヨークに長期滞在するには、当然何かしらのビザが必要だった。
私は比較的取得しやすいと言われている学生ビザを取得した。
学生ビザを取得するには、まずどこかの学校に入学する必要がある。
とりあえず、英語をなんとかしないといけないので、ある大学付属の語学学校に入学した。
学生ビザの期限は最長5年だが、申請者によって期限がまちまちで、短い人で半年とか1年とか。それがどういった基準なのかわからないが、私に降りたビザは最長の5年だった。
ビザ申請は一度却下されると再チャレンジはかなりハードルが高くなるので、ほぼ一発勝負的なところがあり、申請には結構神経を使った。
この学校の生徒の大半がラテンアメリカ系の生徒だった。多分授業料が安いというのが理由だと思う。
入学最初の日、地図を片手に何人もの人に道を尋ねて、なんとか学校へ辿り着いた。
学校のある場所もクイーンズで、サブレットとして借りたところから地下鉄で30−40分ぐらいのところにあり、大きな幹線道路沿いの殺風景な場所にその学校はあった。
教室から見えるイーストリバーを挟んだ向こう側のマンハッタンの高層ビル群が、いつも恨めしく思えた。
ニューヨークに居ながら、まだニューヨークに入ることを拒まれているかのように思えた。
授業はというと、これが結構驚きで、お菓子やジュースを食べたり飲みながら授業を受けるのは当たり前。ガムを噛みながら発表する。
そして極めつけは、つまらない授業だと先生に、「もっとアグレッシブにやってくれ!とっても退屈だ!」と言ってしまうありさま。
彼らの授業態度は些か、日本人の私からすればこれってどうなの?って思うところは多々あるが、学ぶ意欲、そしてやる気はある。
ほとんどの生徒が大学に上がるための英語力を習得するのに懸命だったのは事実だった。
クラスには様々な境遇の生徒がいた。
その中でトルコから来ていたある生徒は、夕方6時から翌朝の6時まで駐車場の管理の仕事を月曜日から日曜日まで無休で働いていた。その生徒は毎朝仕事が終わってからその足で学校に来ていた。学校は半日だけだったので彼は昼に学校を終えると自宅に帰って睡眠をとり、また夕方から仕事に出るという感じだった。
毎朝、充血した目をした彼を見るたびに、過酷な生活ぶりが想像できる。
彼はビジネスをするためにニューヨークに来ているのだと言っていたが、実情は出稼ぎなのだ。英語での日常会話はそれほど不自由をしていない彼だが、読み書きが不得意で、それを克服するためにわざわざ学校に来て学んでいたのだった。
ハングリーな彼の目は、私が思うよりももっと遥か上を見ていた。
半数以上の学生は彼のように経済的に厳しいらしく、何かしら仕事をしながら忙しい合間を縫って学校に来ていた。彼らに比べると、私は随分と恵まれていたのは確かだった。
世界から見ると、やはり日本は豊かなのだ。
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